2012年6月14日木曜日

[06/13]ザ・地元のハワイアン料理/Helena's

どうもです!
アメリカ合衆国で唯一王宮がある州こと、ここハワイから今日もお届けします。


店頭のポップな看板が目印

今日はめちゃくちゃロコなハワイアンフードのお店を紹介します。
その名も、Helena's Hawaiian Food
1946年創業の、昔ながらのハワイアンフードを出す食堂といった趣があります。

店内は常にロコで溢れかえる

ワイキキから離れたスクールストリートにあるためツーリストの姿は一切見られない、ロコピープルが地元料理を楽しむためのお店です。店内に空席はなくテイクアウトを注文している人もたくさん見受けられました。ハワイアン料理はやっぱり地元の人たちに人気なんですね~。


Lau Lau
$4.00
Lomi Salmon w/Raw fish & Limu
$4.95
Kalua Pig
Large $4.90


今回はハワイアンの定番3品をピックアップしてみました。
ラウラウはタロイモの葉で肉や魚を蒸し焼きにしたもの。
ロミサーモンは塩で味付けされたトマトとサーモンのサラダ。
そしてカルアピッグはシンプルな豚の蒸し焼き料理です。

どちらもご飯と一緒に食べても十分美味しいですが、ハワイ料理ではポイと呼ばれるタロイモをペースト状にしたやつと一緒に食べたりします。(ポイはロミサーモンの隣にちらっと写ってるやつです)

メニューはその他にも色んなハワイ料理を揃えていますので、上記のリンクから確認して頂けたらなーと思います。

市街からはちょっと遠目ですが、どこか懐かしい、ハワイのローカルな雰囲気をハワイアン料理とともに味わいたいならオススメです!




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---Business Hour---
Open Tuesday to Friday
10:30-19:30

火曜から金曜までしかやってなかったのか・・。
要注意です!

ではまた明日!
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2012年6月13日水曜日

[06/12]僕が僕であるために

こんばんは。
先住民ハワイアンは人口に対して5.9%しかいない、ここハワイからお届けします。

Hawaiian&American flags
さて。海外に来てみるとその価値観の違いに驚かされることがしばしばあります。アメリカ人の考え方、アジア人の考え方、日本人の考え方、そして僕自身の考え方。何が良くて何が悪いなんてのは誰にも決められないハズですが、それを勝手に決めつけられることがあります。心外なレッテルを貼られることすらあります。勿論一方的にそんなことをする相手が悪いというワケではなくて、自分の考え方をしっかりと伝えるコトができていない僕サイドにも十分問題はあるでしょう。少なくても相手は自身の哲学に基づき行動しているはずなので非なんてちっとも感じていないハズです。

ただ、考え方の違いなんてどこにでもあるものなので、大切なのは違いを認めて理解することではないでしょうか?

僕自身反省するコトはたくさんありますが、相手にもそのことを知ってほしく思います。

僕が僕であるために。現実としっかり向き合って、自分の意思を明確に伝えられるようにならないと駄目だなぁ。ハワイに来て以降、ホントに色んな事を学ばせて頂いてます。
良くも悪くも出会いに感謝して、前に進みます。


栄光に近道なし!

2012年6月12日火曜日

[06/11]隠れた名店/SHIMAZU STORE

こんばんは!
フムフム・ヌクヌク・アプアアが州の魚として認定されている、ここハワイからお届けします。

STOP!@School Street
ネガティブ思考が続く今日このごろ・・。そんな毎日にSTOP!といきたいところですが、中々うまくいかないのがもどかしいところ。直感でズバズバ大事なコトは決めるくせに、日常の小さなコトとか結果的に大したコトにならない問題にはうだうだ悩むのが悪い癖。いま考え込んでることがそんな大したコトでないといいんですけどね。とりあえず相談したいー愚痴を吐き出したいー誰か飲みに行きましょう!


No.1 Shave Ice

さてさて。そんな思い悩む日々が続いていますが、気分転換の意味も込めてロコピープルに人気のShave Iceの名店、SHIMAZU STOREに行ってきたやよ~

この行列!いつもこの調子だからその人気ぶりが伺える。

場所はこの前紹介したリリハ・ベーカリーの近くの通りにあり、リリハ同様にワイキキからだとちょっと行きづらいかな。そのせいかロコピープルばかりでツーリストなんかほとんどいません。店構えは民家が立ち並ぶガチの住宅街の中にぽつりと、民家を改装した様なカンジ。クローズしてるときは地味に見えがちですが、開店中は常にこんなカンジで、閑静な住宅街の中ちょっと異様な光景であったりします。

ちなみにシェイブアイスってのはいわゆるかき氷で、ここハワイでは年中暑いのでロコピープルのちょっとしたおやつとしてかなり浸透しています。街中でも至る所でShave Iceの看板が見られるかと。

そしてそんな数あるシェイブアイスの中でも個人的に、また口コミでも超人気な名店がこちらのSHIMAZU STOREなワケです。
今回注文したのはこちら!

Small w/Azuki&Condensed milk
$4.25
どうでしょうか、これでスモールサイズです。笑 以降ラージ、ボウル、ラリー(XL)と続きますが、普通の人ならスモールで完全に十分!しかもスモールはわずか3ドルで、それにあずきやら練乳やらトッピングをつけても4ドルちょいにしかならないのですごくお得ではないでしょうか。

シェイブアイスのサイズとトッピングを選んだら、次は数十種類以上あるシロップの中からお好みを3つまで選ぶことができます。今回頼んだのは2種類で、右:バニラクリーム 左:ピーチクリームです。シロップに関しては種類が多くてどれがオススメかはわからないくらいなので、ぜひ店頭でお試しくださいませ。ただ今回頼んだ2つはどっちともおいしかったです!

ところでシェイブアイスと言えばノースショアにあるMatsumoto Shave Iceが最近「モヤさま」でも取り上げられるなど、長年ハワイのシェイブアイス人気ナンバーワンを独占しています。Matsumoto Shave Iceの人気は現地であの行列を目の当たりにしたら分かると思いますが、いつ行っても30分近くは待つほど。
・・けどまぁあれはツーリストのためだけの人気なのかなぁなんて思ったりもしています。値段とサイズは大差ないでしょうが、氷のクオリティがShimazuは特に格別なんですよね。とにかくサラサラ。あれを食べるとロコの皆さんがこぞってShimazuに通うのが分かる気がします。

が、まぁMatsumoto Shave Iceも長年人気なだけあって味が悪いわけではなく、普通に美味しいのでノースショアに立ち寄った際はその行列ぶりをぜひ体感してほしいと思いますけど。笑
食べ比べるとShimazuの良さが分かるかも?




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Business Hour
Mondays: Closed
Tuesday-Sunday:10:30-6:30
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ではまた明日!
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2012年6月11日月曜日

[06/10]FIRE BALL 運命の出会い 4

こんばんは!
オバマ大統領の出身校プナホウスクールがあることでお馴染みの、ここハワイからお届けします。

その1その2その3に続きその4!
運命の出会い完結編。


FIRE BALLとの出会い(4)

無事大学に進学することができた僕は、「アングラ志向」を日々強めていた。「音楽はメディアへの露出度や売り上げで評価されるものではなく、リリックの中身で評価するべきだ」とかなんとか、まるでダークサイドに堕ちたアナキンのようにどんどん深みにハマっていった。

そんな僕に新たな価値観を与えてくれたのは、別の高校に通ったことで暫く疎遠になっていた中学時代の友人たちだった。僕が高校3年間で深くレゲエにのめり込んで行ったのと対照的に、彼らはよりヒップホップに傾倒するようになっていた。お互い高校を卒業すると再びツルむ機会が増え、現状のレゲエシーンに納得がいかなかった僕は、彼らが情熱を持って話す日本のヒップホップシーンに興味を持つようになった。韻踏合組合、般若、DABO、SEEDA、SHINGO☆西成、ANARCHY・・・3年前と比べて日本語ラップのシーンはより重厚さを増しており、その魅力に再び取り憑かれるまでにそう時間はかからなかった。

特に影響を受けたのが般若、DABOの両アーティストだろう。般若のリリカルで、かつユーモアに溢れたスタイルにはすぐ虜になった。「やっちゃった」でおちゃらけたスタイルを見せつけたかと思えば、「理由」や「最ッ低のMC」でシリアスなラップを披露することもできる。硬軟織り交ぜながら、決して軸はブレないパフォーマンスは、「俺が求めていた音楽はここにあるんだ」と確信させた。
また般若について関心を抱いたのは、旧友からの推薦だけではない。現代におけるジャパニーズヒップホップシーンの最重要人物、DABOのブログからの影響がとても大きかった。彼はそのリリカルな才能を日本語ラップというフィールドだけでなく、ブログという一般的な発信の場においても遺憾なく発揮していた。というかこの昔語り調の記事もそのブログの影響を多分に受けたりしてて・・パクリちゃうサンプリングや!とだけ言っておきます。笑
そのブログ内の記事でより般若の魅力を知ることができたのだが、同時にアーティストとしてのDABOにも強く惹かれるようになっていったのだった。

ジャパニーズヒップホップの魅力を知るにつれ、よりレゲエからの乖離は進んだ。レゲエアーティストの新譜をチェックするより前に、般若の新譜を購入している自分がいた。ヒップホップのイベントにも顔を出すようになった。SHINGO☆西成の男気に惚れた。目の前で見た般若のパフォーマンスは、自分の人生で最高のライブだと感じるくらい最高だった。僕は既に心も体も、ジャパニーズヒップホップに毒されていた。




一方で、完全にヒップホップへ関心が移っていた当時でも、未だFIRE BALLへの興味が失せるコトはなかった。ジャパニーズヒップホップへ傾倒しつつも、並行してレゲエの情報をチェックし続けていたのも事実。JUN4SHOTがアーティストとしてではなくIrie Lifeのデザイナーとしての活動をメインとして行っていたとしても、「FIRE BALLはまだ終わっていない」という気持ちの方が若干上回っていた。

そんな祈りにも似た気持ちの中、大学2年も終わりを迎えようとした2009年冬、彼らは3年ぶりのフルアルバム、「Don’t Look Back」を発表した。(2007年のベストアルバムを挟んで、だが)
無論、前作の出来(というかBIRDMAN)からみてほとんど期待はしてなかった。プロモーション的にもイマイチインパクトに欠けるのでは?とすら感じていた。

ただ・・。





Don't Look Backがすげー良かった。





これは本当に、聴く前の期待を良い意味で完全に裏切られた。
まずイントロからこれまでのFIRE BALLのそれとは変えてきていた。詳しくは歴代のアルバムを手にとって実際にその違いを感じてほしい。そのためのアマゾンのリンクである。笑
2曲目の「In da club」はレゲエがまだまだ下火だった頃の、ギラギラしたFIRE BALLを思わせるような、そんな懐かしさにも似た感情がこみあげてくるのを感じた。この曲が実はこのアルバムで一番好きだったりする。その後は「SUPERSTAR」のDOIRemixに「LOVE REGGAE MUSIC」などリスナーの耳を飽きさせないまま9曲目の「ヤーマン刑事」まで、とにかく完璧な構成で続いていく。
その後の各メンバーのソロ曲で一旦落ち着く感は感じるが、TEARDROPSで再びファンの注目をがしっと掴んで離さないのは流石である。(まぁ最後のDon't Look Backはそっ閉じでおk)

後半はさておき、アルバムとしてのDon't Look BackはとにかくこれまでFIRE BALLに感じていた不信感を払拭するには十分の内容だった。個人的には二枚目の「BOOK OF LIFE~炎の章~」に次ぐ好きな作品になるくらい、その完成度は高かったと思う。
翌年に発表した「ZERO」も申し分ない内容だった。
というか2010年は個人的には、MIGHTY JAM ROCKの10周年作「3 THE HARDWAY Ⅹ」がめちゃくちゃ良かったし(特にRub A Dub Westernは神懸かってる)、RYO the SKYWALKERの「RHYME-LIGHT」と「#RSW10th」もめちゃくちゃ聴いた。BIG BEAR「RAGGASTAR」もとにかくよく聴いたなぁ。
大学を卒業するころには、すっかり元のレゲエ好きに戻っていた。





レゲエを好きになる様になったきっかけ。レゲエから離れるようになったきっかけ。そして再び、ますますレゲエを好きになる様になったきっかけを作ってくれたアーティスト。
それが、FIRE BALLなのだ。
一時ファン離れを起こしたけれど、やっぱり僕の人生の中で一番大好きなアーティスト。これから先は一度も目を離すことなく応援し続けていけたら、と思う。

そんな彼らは今年2012年、結成15周年の節目を迎える。
これは奇しくも、僕がFIRE BALLを追っかけてからちょうど10年となり、なんともガイダンス!
この不思議な縁もあり、今年の15周年アルバム「NEW ERA~Call This Love~ 」の東京ツアーファイナルに参戦することにしました。2006年に沖縄でSOUNDS OF REVOLUTIONのツアー行って以来だから、こちらは6年ぶりのワンマンライブ参戦。
一か月を切って今からとてもワクワクしております・・!
FIRE BALLの15周年を現地で見届けてきます!

ちなみにCall This Love最高。



・・とまぁそんなこんなで4日に渡って更新してきたFIRE BALL運命の出会いについて。
個人的な10年間の記録を稚拙な文章でタラタラと今日まで続けてきたワケですが、通して読んでくれた方がいたらそれはとても光栄ですし、一度でも目を通してくれた方も含めて全ての読者にこの場で感謝申し上げます。今回の昔語りスタイルはずっとやってみたかったのですが、実際にやってみると非常にエネルギーを使って大変でした。泣 ・・が、個人的にはすごい勉強になったしやってよかったなぁと思ってます。クオリティがアレなんでもし次回やる機会があれば、そのときはもっと魅力的な文章を書けるように頑張りたいと思いますが。

とにかく!ここまで自己満足につきあって下さりありがとうございました~!

では、また明日。

2012年6月10日日曜日

[06/09]FIRE BALL 運命の出会い 3

お疲れ様です。
火山から流れ出る溶岩が原因で今も面積が広がり続けている、ここハワイからお届けします!

その1その2に引き続きFIRE Bとの出会いその3。



FIRE BALLとの出会い(3)

僕が高校に入学した2004年から、卒業する2007年ごろにかけて、日本にもレゲエブームが到来した。
先に日の目を見るコトになったジャパニーズ・ヒップホップから数年遅れてのものではあったが、アーティストの質・量ともに見劣りしなかった当時のシーンから言えば必然の現象であったと言える。

火付け役でありブームの象徴でもあったのは、湘南乃風だ。アルバム「Real Riders」によってレゲエファンに新時代の幕開けを予感させた彼らは、「応援歌」、「カラス」のヒットで一般の音楽ファンにも広く受け入られるコトに成功。その後はメディアへの露出も格段に増え、「純恋歌」、「睡蓮花」などによりその人気を不動のものとした。その湘南乃風と共に、アンダーグラウンドだったレゲエをメジャーのファン層に認知させたアーティストとして、MINMIの存在は外せない。2002年の「The Perfect Vision」からすでに若手レゲエアーティストとして人気を集めていたが、2005年の「サマータイム!!」から更にその名を全国に知らしめた。
レゲエブームと言えばDef Tech、MEGARYUも忘れてはならないだろう。共にヨコハマタイヤのCMタイアップとして起用された「My Way」と「Day By Day」(心なしかタイトルが似てる気が・・)がきっかけに一気に人気アーティストへと駆け上がった。特にDef Techは「My Way」を収録したアルバム「Def Tech」がインディーズからの発売ながらミリオンセラーを達成し、数々の音楽賞も受賞、年末の紅白歌合戦にも出場するほどの躍進を見せた。

これらのアーティストの活躍もあり、ジャパニーズレゲエは新たな音楽ジャンルとして完全に市民権を得た。一部のファンにより長年熱狂的に支持されていたレゲエという音楽は、数年たらずで一気に大量のレゲエファンを獲得することになったのである。そんな突如発生したレゲエブームは、中学生の時の僕の疑問「なぜこれほどまでに魅力的な音楽が世に出ないのか」にポジティブな形で結論を出すことになったのだが、実際にはネガティブな、「望んでいない結果」として当時の自分には受け取られた。さながら「コアな」ジャパニーズ・ヒップホップファンが数年前の「日本語ラップ」ブームを否定したように。



その理由はあまりにも明確だった。ブームの中心にいたのは僕が「世間にその魅力を知ってほしい」と願った、ジャパニーズ・レゲエシーンの中心にいた者たちでは決してなかったからだ。勿論彼らがこの時期に活動のペースを落としていたワケでもなんでもなく、むしろその勢いは加速しているようにすら見えた。
例えばFIRE BALLは、2004年には「FIST AND FIRE」、2005年には「999 MUSICAL EXPRESS」を発表し、その音楽性を更に次のレベルへと高めていた。レゲエアーティストとして初めてSUMMER SONIC 2005、そしてRISING SUN ROCK FESTIVAL 2005 in EZOにも出場したことからもその加速ぶりが伺える。関西勢で言えばRYO the SKYWALKER、MIGHTY JAM ROCKは確実にシーンの担い手としてその実力を全国のレゲエファンに示し続けていたし、KEN-U、MICKY RICHなど若いアーティストも着々と全国規模の人気を獲得し始めていた。
それにも関わらず、「ジャパニーズ・レゲエ」という看板を背負って世に出ていくのはシーンの中心にいたとは言い難いアーティストがほとんどだった。「良い音楽が売れる」のか、それとも、「売れる音楽が売れる」のか。残念ながら正しいのは後者であった。期待していたレゲエブームが「作られたブーム」でしかないと知った時、「必ずしも素晴らしい音楽が売れるとは限らない」ということをそのとき悟った。




ブームが引き続き盛り上がるのを冷めた目で見つめながら、僕は相変わらず「ホンモノ」のレゲエアーティストを応援し続けていた。MIGHTY JAM ROCKの音楽性に代表されるように、彼らはとにかくそのスタイルを変えようとはしなかった。音楽性が云々というよりも、自分たちの軸を大切にスタイルを貫き続ける、という姿勢に共感し憧れを抱いていたのかもしれない。もはや前述のレゲエブームを支えたアーティストたちを贔屓目なしで、素直に楽曲だけで評価できないほどに彼らに入れ込んでいたと思う。かつて好きだったジャパニーズ・ヒップホップのアーティストたちにすらその矛先を向けていた。

そんな「コアなジャパニーズ・レゲエファン」を気取っていた2006年の夏、FIRE BALLは「BIRDMAN」という一枚のシングルを発表した。全作999 MUSICAL EXPRESS以来の待ちに待った新作だけに大いに期待した今作だったが、個人的な感想は、「期待外れ」以外の何物でもなかった。というか、FIRE BALLらしくないように感じられたと表現した方が正しいのかもしれない。勿論この曲は未だに多くのFIRE BALLに支持される人気の一曲であることに変わりはないし、個人的ないちファンの戯言でしかないと言われても否定はしない。ただ、レゲエブーム全盛の当時の状況を踏まえた時、僕自身「ブームに引っ張られた」「FIRE BALLは変わった」と、うがった見方しかできなかったのが事実なのである。
その後同作を収録したアルバム「SOUNDS OF REVOLUTION」が発表されたが、僕自身一応チェックはしたものの、これまでのアルバムのようにヘビロテにヘビロテを重ねて、ということは全くしなかった。

勝手に信じていたアーティストに裏切られた気分になった僕は、大学生になり、再びジャパニーズ・ヒップホップの世界に入り込むようになる。



次でたぶん最後!
また明日~


2012年6月9日土曜日

[06/08]FIRE BALL 運命の出会い 2

こんばんは!
日本との時差はマイナス19時間のここハワイからお届けします。

昨日に引き続きFIRE BALLとの出会いについて。その2です。



FIRE BALLとの出会い(2)


親友から借りたカセットテープに収録されていた、いわゆる「ジャパニーズ・レゲエ」の曲は始めの2曲だけだった。1曲目はHOME GROWNの「Oasis」。日本を代表するレゲエ・バンドの発表した、ジャパニーズ・レゲエを代表する名曲である。一応言っておくと、これは言いすぎでも何でもない。もし僕が「ジャパニーズ・レゲエ」ってなんですか、って尋ねられたらまずこの曲を差し出すだろうし、10年以上前の曲だけど、未だに日本のレゲエとはどういうものなのかをレペゼンしている作品だと感じるのだ。
もちろん当時はこの曲がどんなにすごいバンドの代表曲で、どんなにすごいアーティストたちが集結して作られたかなんて考えもしなかったけど。

カセットテープを買ってもらったばっかりのMDコンポに挿入し、Oasisを初めて聴いたときは素直にいい曲だな、この雰囲気いいなーと感じた。まぁ驚きがなかったと言えばそれまでだけど、逆に言えば自分の想像していた、「レゲエ」という音楽を日本人が演ればどうなるか、をそのまま分かりやすい形で表現していたからだと思う。「日本のレゲエってこんなカンジなんだー」っていうのを理解するために、これ以上の作品はないと未だに感じる。そう考えると1曲目がHOME GROWNでしかも「Oasis」だったってのはすごい幸せだったのかも。

そして、Oasisの余韻が未だ室内に残る中プレイされた次の曲は、たった今自分の中で構築された「日本のレゲエ」というイメージをあっさりと、かつ根底から覆すものだった。独特のテンポとリズム、Japanese HIPHOPのそれとは明らかに違う押韻の連続。それに加えてメロディアスなハーモニーはこれまでに聴いてきたようなものとは、あまりにも音楽性が異なるように感じた。これが本当にさっき聴いたジャパニーズ・レゲエ??全然違うよ、全然。これがどのジャンルなのかとか、どのグループの曲なのかは全く想像もつかないけど、とにかくこの耳にまとわりついて離れないような、くせになる感覚はどう説明したらいいのだろう??

次の日学校に登校してすぐ、僕はこの曲について彼に尋ねた。
彼は、FIRE BALLというジャパニーズ・レゲエのアーティストの、「Light Up the Fire」という曲だと教えてくれた。







FIRE BALLというアーティストを認識して以降、彼らの音楽にのめり込むまでにそう時間は掛からなかった。既に発売されていたファーストアルバム「火の玉」を当然の様に手にすると、自分が感じた衝撃が一過性のものではないことをすぐに確信することができた。「BRING IT ON」はFIRE BALLの初代・代表曲とも言える作品で、日本に音楽フェス等での「タオル回し」を一般に定着させた曲でもある。「DANCING MOOD」は、個人的にFIRE BALLの楽曲の中でも5本の指に入るくらい好きな曲だ。その他にも、僕が感じたような「衝撃」を感じさせる印象的な楽曲が多いのが特徴のアルバムと思う。

火の玉を聴いて以後すぐ発売された、「BOOK OF LIFE~炎の章~ 」にも案の定ドハマりした。「Light Up the Fire」が収録されているアルバムなんだけど、とにかく完成度がハンパない。Introから最後の「JUNGLE ROOTS」まで、「捨て曲がない」とはこのアルバムのためにあるのではないかと思うほどの名作だった。個人的にはFIRE BALLの歴代のアルバムの中で、最高傑作であると推薦しておきたい。

と、このようにFIRE BALLにドハマりして以降は、ジャパニーズ・レゲエ自体にも自然と関心を持つようになった。既出のHOME GROWNはもちろんのこと、RYO the SKYWALKER、PUSHIM、MOOMINに三木道三など、挙げればキリがないほど。こんなにも魅力的な音楽をなぜこれまで完璧にスルーしてきたのかと、首をかしげたくなるほどジャパニーズ・レゲエのシーンは成熟しているように思えた。当時の音楽シーンにおいてJapanese HIPHOPの快進撃は昨日の投稿で述べたばかりだが、改めて見てもそれと遜色がないようにしか見えなかったのになぜレゲエはこれだけ注目度が低いのか??

いま思うと、「成熟しているように見えたレゲエ・シーン」は、数年後に来る「レゲエ・ブーム」に向けたカウントダウンの最終段階だったように思う。溜まりに溜まったマグマが一気に噴き出るような、そんな爆発力と可能性を、当時のジャパニーズ・レゲエからは感じられた。

そして当時のレゲエファンからすると当然のように思われた、待ちに待った「レゲエ・ブーム」が、僕のFIRE BALLに対するイメージをがらっと変えてしまうとは、このときの熱狂的なFIRE BALL熱、そしてレゲエ熱に完全に侵されていた中学3年生の僕には到底想像することすらできなかった。




まだ続きそう・・。
また明日!

2012年6月8日金曜日

[06/07]FIRE BALL 運命の出会い

こんばんは!
アメリカ本土から南西に3200キロ離れた、ここハワイから今日もお届けします!

@somewhere in the state

昨晩は恐らく今年に入って初めて、ここ数年でも滅多になかったであろう12時前の就寝を記録し、朝8時にはぱっちり目が覚めました。どれだけ夜型なんだって話ですがまぁ今日からジョジョに奇妙に朝型へと移行できたらなーなんて思っております。そしてここ最近続く慢性的な咳を止めるべく、遂に日本から持参したジキニンを投入。早めに治まってくれたらいいですねー。


FIRE BALLとの出会い

さてさて。本日は僕の大好きなレゲエアーティスト、FIRE BALLの話でもしたいと思います。というのもfacebookにて、FIRE BALLのファンページ(オフィシャルじゃないやつ)を運営している方が自身のFIRE BALLとの出会いを記されていたのがきっかけ。それを見たときに僕自身の彼らとの出会いも懐かしく、かつ鮮明に思い出されてきて、それで無性に筆を取りたくなった次第であります。
ハワイメインのブログなので需要はないでしょうが(笑)、当記事をきっかけにFIRE BALLの魅力が少しでも伝わればいいなぁと思います。
それは遡ること10数年前、僕がまだ中学生の頃の話。





2001年。
当時は音楽というものに対する興味関心がやっと芽生えてきたばかりで、こだわりを持って聞いていたアーティストなどほとんどいなかった。ポルノグラフィティ、DA PUMP、野猿にB'zなどトモダチに勧められて聞いていたJ-POPはいくつかあったけれど、それでも当時の関心と言えばもっぱら部活動、野球野球野球、だった。まぁそれは今でも変わらないんだけど。

音楽に関心が向くようになったのは某局の某TV番組の超有名企画、「ハモネプ」がそのきっかけだったと思う。TVの影響とは凄いもので、当時中学1年だった僕の友人の何人かはグループを作り、夜な夜な公園で練習を重ね、ときには休み時間の学校でその成果を披露してくれるのだった。ボイスパーカッション、ベースにコーラスなどメンバー各自に役割が与えられ、それぞれがうまくハーモニーを奏でるコトによって生み出されるパフォーマンスは、例え中学生の真似事でもあってもカッコよく見えたし、何より同級生として憧れさえ抱くものであった。

友人らが練習に明け暮れる中、人前で歌ったこともなければカラオケにすら行ったことのない僕は、そんな彼らの影響で徐々に音楽に対する意識がどんどん大きくなっているのを感じていた。そんな中まず手に取ったのは、当時その存在感をメジャーシーンに示し始めていたJapanese HIPHOPの類だったと思う。Dragon Ashがミクスチャーバンドとして頭角を現し、ZeebraとACOを迎えて発表した「Grateful days」がRapというものを広く認知させたと共に、そのRap熱は日本の音楽シーンにおいて加熱していくばかりだった。KICK THE CAN CREWも山下達郎の「クリスマス・イブ」をサンプリングした「クリスマス・イブRap」を発表したのをきっかけに一気にメジャーの舞台に駆け上がったと思えば、RIP SLYMEも「One」や「楽園ベイベー」のヒットを足がかりに不動の人気を確保。僕が初めて買ったCDアルバムでもある彼らのセカンドアルバム、「TOKYO CLASSIC」は100万枚以上も出荷され、3週に渡りオリコンチャートの1位を飾った。そのときの2位がSMAPだったことも、その当時の彼らの躍進がいかに凄かったのかを物語っている。

その他にもSteady&Co「春夏秋冬」は給食時間中に流れると毎回クラスで大合唱が巻き起こっていたし、麻波25「SONS OF THE SUN」もリリックを覚えて何度も友達と歌った。m-floも人気だったし、SOUL'd OUTも「ウェカピポ」のヒットなどで朝の情報番組で取り上げられたこともあるほど、多くのフォロワーを獲得していた。そしてもちろん言うまでも無く、ケツメイシは中学時代を語る上で外すことのできない大好きなアーティスト。特に「ケツノポリス2」は擦り切れるほど聴いた。

・・と、ここまで見ると一部の方は「これがJapanese HIPHOPとかwwwフェイクだろwww」と思うかもしれない。実際彼らの活躍の裏では、日本のHIPHOPが注目を浴びる前から遥か前からアンダーグラウンドで活躍していた本物のアーティストやそのファンがいた。そしてそういった「コア」な人たちから彼らが疑問というか非難を浴びせられることもしばしばだったし、その傾向はキングギドラのDragon Ashに対する「公開処刑」が象徴しているかと思う。
ただまぁそれに対して一言言わせて頂けるとしたら、当時の彼らの活躍はそういった「コア」な人たちの言い分を「負け犬の遠吠え」にしか聞こえないようにするほど盛り上がっていたし、かつ彼らの楽曲のみならず「日本語Rap」という新たな歌唱法に対しても面白さを感じていた僕の様なファンにとっては、それが「コアな」Japanese HIPHOPへの入口にもなっていたと付け加えておきたい。
多少話は逸れたが、それほどまでにこのJapanese HIPHOPというものは中学生当時の僕の音楽に対する意識を高め、熱狂させていた。


そんなある日、あれは確か中学2年の冬だったと思う。3年生が部活動を引退し、いよいよ僕らの世代が到来。遠ざかって久しい我らが野球部の悲願である県大会進出にむけて、より一層部活動に打ち込んでいる頃だった。前述の「ハモネプ」でボーカルを務めていた親友に、レゲエっていうジャンルの音楽があって面白いから聞いてみてほしい、と言われた。その頃は「レゲエ」というと文字通りラテン系の陽気な民族音楽なんだろうという知識しかなかったし、そういえばTSUTAYAでCD借りるときにHIPHOPの近くに並べられてるヤツかーくらいの認識しかなかった。そんなラテンのヤツがHIPHOPより面白いわけ??そうすら思っていた。

そうして何の気もなくそいつから借りた一つのカセットテープ。それが今後の僕の音楽観に大きな影響を与えるものになるとはその当時まだ知る由もなかった。。。


・・と、前置きだけでちょっと長くなってしまったので今日はこの辺で。笑
また明日書きます~では!