2012年6月8日金曜日

[06/07]FIRE BALL 運命の出会い

こんばんは!
アメリカ本土から南西に3200キロ離れた、ここハワイから今日もお届けします!

@somewhere in the state

昨晩は恐らく今年に入って初めて、ここ数年でも滅多になかったであろう12時前の就寝を記録し、朝8時にはぱっちり目が覚めました。どれだけ夜型なんだって話ですがまぁ今日からジョジョに奇妙に朝型へと移行できたらなーなんて思っております。そしてここ最近続く慢性的な咳を止めるべく、遂に日本から持参したジキニンを投入。早めに治まってくれたらいいですねー。


FIRE BALLとの出会い

さてさて。本日は僕の大好きなレゲエアーティスト、FIRE BALLの話でもしたいと思います。というのもfacebookにて、FIRE BALLのファンページ(オフィシャルじゃないやつ)を運営している方が自身のFIRE BALLとの出会いを記されていたのがきっかけ。それを見たときに僕自身の彼らとの出会いも懐かしく、かつ鮮明に思い出されてきて、それで無性に筆を取りたくなった次第であります。
ハワイメインのブログなので需要はないでしょうが(笑)、当記事をきっかけにFIRE BALLの魅力が少しでも伝わればいいなぁと思います。
それは遡ること10数年前、僕がまだ中学生の頃の話。





2001年。
当時は音楽というものに対する興味関心がやっと芽生えてきたばかりで、こだわりを持って聞いていたアーティストなどほとんどいなかった。ポルノグラフィティ、DA PUMP、野猿にB'zなどトモダチに勧められて聞いていたJ-POPはいくつかあったけれど、それでも当時の関心と言えばもっぱら部活動、野球野球野球、だった。まぁそれは今でも変わらないんだけど。

音楽に関心が向くようになったのは某局の某TV番組の超有名企画、「ハモネプ」がそのきっかけだったと思う。TVの影響とは凄いもので、当時中学1年だった僕の友人の何人かはグループを作り、夜な夜な公園で練習を重ね、ときには休み時間の学校でその成果を披露してくれるのだった。ボイスパーカッション、ベースにコーラスなどメンバー各自に役割が与えられ、それぞれがうまくハーモニーを奏でるコトによって生み出されるパフォーマンスは、例え中学生の真似事でもあってもカッコよく見えたし、何より同級生として憧れさえ抱くものであった。

友人らが練習に明け暮れる中、人前で歌ったこともなければカラオケにすら行ったことのない僕は、そんな彼らの影響で徐々に音楽に対する意識がどんどん大きくなっているのを感じていた。そんな中まず手に取ったのは、当時その存在感をメジャーシーンに示し始めていたJapanese HIPHOPの類だったと思う。Dragon Ashがミクスチャーバンドとして頭角を現し、ZeebraとACOを迎えて発表した「Grateful days」がRapというものを広く認知させたと共に、そのRap熱は日本の音楽シーンにおいて加熱していくばかりだった。KICK THE CAN CREWも山下達郎の「クリスマス・イブ」をサンプリングした「クリスマス・イブRap」を発表したのをきっかけに一気にメジャーの舞台に駆け上がったと思えば、RIP SLYMEも「One」や「楽園ベイベー」のヒットを足がかりに不動の人気を確保。僕が初めて買ったCDアルバムでもある彼らのセカンドアルバム、「TOKYO CLASSIC」は100万枚以上も出荷され、3週に渡りオリコンチャートの1位を飾った。そのときの2位がSMAPだったことも、その当時の彼らの躍進がいかに凄かったのかを物語っている。

その他にもSteady&Co「春夏秋冬」は給食時間中に流れると毎回クラスで大合唱が巻き起こっていたし、麻波25「SONS OF THE SUN」もリリックを覚えて何度も友達と歌った。m-floも人気だったし、SOUL'd OUTも「ウェカピポ」のヒットなどで朝の情報番組で取り上げられたこともあるほど、多くのフォロワーを獲得していた。そしてもちろん言うまでも無く、ケツメイシは中学時代を語る上で外すことのできない大好きなアーティスト。特に「ケツノポリス2」は擦り切れるほど聴いた。

・・と、ここまで見ると一部の方は「これがJapanese HIPHOPとかwwwフェイクだろwww」と思うかもしれない。実際彼らの活躍の裏では、日本のHIPHOPが注目を浴びる前から遥か前からアンダーグラウンドで活躍していた本物のアーティストやそのファンがいた。そしてそういった「コア」な人たちから彼らが疑問というか非難を浴びせられることもしばしばだったし、その傾向はキングギドラのDragon Ashに対する「公開処刑」が象徴しているかと思う。
ただまぁそれに対して一言言わせて頂けるとしたら、当時の彼らの活躍はそういった「コア」な人たちの言い分を「負け犬の遠吠え」にしか聞こえないようにするほど盛り上がっていたし、かつ彼らの楽曲のみならず「日本語Rap」という新たな歌唱法に対しても面白さを感じていた僕の様なファンにとっては、それが「コアな」Japanese HIPHOPへの入口にもなっていたと付け加えておきたい。
多少話は逸れたが、それほどまでにこのJapanese HIPHOPというものは中学生当時の僕の音楽に対する意識を高め、熱狂させていた。


そんなある日、あれは確か中学2年の冬だったと思う。3年生が部活動を引退し、いよいよ僕らの世代が到来。遠ざかって久しい我らが野球部の悲願である県大会進出にむけて、より一層部活動に打ち込んでいる頃だった。前述の「ハモネプ」でボーカルを務めていた親友に、レゲエっていうジャンルの音楽があって面白いから聞いてみてほしい、と言われた。その頃は「レゲエ」というと文字通りラテン系の陽気な民族音楽なんだろうという知識しかなかったし、そういえばTSUTAYAでCD借りるときにHIPHOPの近くに並べられてるヤツかーくらいの認識しかなかった。そんなラテンのヤツがHIPHOPより面白いわけ??そうすら思っていた。

そうして何の気もなくそいつから借りた一つのカセットテープ。それが今後の僕の音楽観に大きな影響を与えるものになるとはその当時まだ知る由もなかった。。。


・・と、前置きだけでちょっと長くなってしまったので今日はこの辺で。笑
また明日書きます~では!

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