2012年6月10日日曜日

[06/09]FIRE BALL 運命の出会い 3

お疲れ様です。
火山から流れ出る溶岩が原因で今も面積が広がり続けている、ここハワイからお届けします!

その1その2に引き続きFIRE Bとの出会いその3。



FIRE BALLとの出会い(3)

僕が高校に入学した2004年から、卒業する2007年ごろにかけて、日本にもレゲエブームが到来した。
先に日の目を見るコトになったジャパニーズ・ヒップホップから数年遅れてのものではあったが、アーティストの質・量ともに見劣りしなかった当時のシーンから言えば必然の現象であったと言える。

火付け役でありブームの象徴でもあったのは、湘南乃風だ。アルバム「Real Riders」によってレゲエファンに新時代の幕開けを予感させた彼らは、「応援歌」、「カラス」のヒットで一般の音楽ファンにも広く受け入られるコトに成功。その後はメディアへの露出も格段に増え、「純恋歌」、「睡蓮花」などによりその人気を不動のものとした。その湘南乃風と共に、アンダーグラウンドだったレゲエをメジャーのファン層に認知させたアーティストとして、MINMIの存在は外せない。2002年の「The Perfect Vision」からすでに若手レゲエアーティストとして人気を集めていたが、2005年の「サマータイム!!」から更にその名を全国に知らしめた。
レゲエブームと言えばDef Tech、MEGARYUも忘れてはならないだろう。共にヨコハマタイヤのCMタイアップとして起用された「My Way」と「Day By Day」(心なしかタイトルが似てる気が・・)がきっかけに一気に人気アーティストへと駆け上がった。特にDef Techは「My Way」を収録したアルバム「Def Tech」がインディーズからの発売ながらミリオンセラーを達成し、数々の音楽賞も受賞、年末の紅白歌合戦にも出場するほどの躍進を見せた。

これらのアーティストの活躍もあり、ジャパニーズレゲエは新たな音楽ジャンルとして完全に市民権を得た。一部のファンにより長年熱狂的に支持されていたレゲエという音楽は、数年たらずで一気に大量のレゲエファンを獲得することになったのである。そんな突如発生したレゲエブームは、中学生の時の僕の疑問「なぜこれほどまでに魅力的な音楽が世に出ないのか」にポジティブな形で結論を出すことになったのだが、実際にはネガティブな、「望んでいない結果」として当時の自分には受け取られた。さながら「コアな」ジャパニーズ・ヒップホップファンが数年前の「日本語ラップ」ブームを否定したように。



その理由はあまりにも明確だった。ブームの中心にいたのは僕が「世間にその魅力を知ってほしい」と願った、ジャパニーズ・レゲエシーンの中心にいた者たちでは決してなかったからだ。勿論彼らがこの時期に活動のペースを落としていたワケでもなんでもなく、むしろその勢いは加速しているようにすら見えた。
例えばFIRE BALLは、2004年には「FIST AND FIRE」、2005年には「999 MUSICAL EXPRESS」を発表し、その音楽性を更に次のレベルへと高めていた。レゲエアーティストとして初めてSUMMER SONIC 2005、そしてRISING SUN ROCK FESTIVAL 2005 in EZOにも出場したことからもその加速ぶりが伺える。関西勢で言えばRYO the SKYWALKER、MIGHTY JAM ROCKは確実にシーンの担い手としてその実力を全国のレゲエファンに示し続けていたし、KEN-U、MICKY RICHなど若いアーティストも着々と全国規模の人気を獲得し始めていた。
それにも関わらず、「ジャパニーズ・レゲエ」という看板を背負って世に出ていくのはシーンの中心にいたとは言い難いアーティストがほとんどだった。「良い音楽が売れる」のか、それとも、「売れる音楽が売れる」のか。残念ながら正しいのは後者であった。期待していたレゲエブームが「作られたブーム」でしかないと知った時、「必ずしも素晴らしい音楽が売れるとは限らない」ということをそのとき悟った。




ブームが引き続き盛り上がるのを冷めた目で見つめながら、僕は相変わらず「ホンモノ」のレゲエアーティストを応援し続けていた。MIGHTY JAM ROCKの音楽性に代表されるように、彼らはとにかくそのスタイルを変えようとはしなかった。音楽性が云々というよりも、自分たちの軸を大切にスタイルを貫き続ける、という姿勢に共感し憧れを抱いていたのかもしれない。もはや前述のレゲエブームを支えたアーティストたちを贔屓目なしで、素直に楽曲だけで評価できないほどに彼らに入れ込んでいたと思う。かつて好きだったジャパニーズ・ヒップホップのアーティストたちにすらその矛先を向けていた。

そんな「コアなジャパニーズ・レゲエファン」を気取っていた2006年の夏、FIRE BALLは「BIRDMAN」という一枚のシングルを発表した。全作999 MUSICAL EXPRESS以来の待ちに待った新作だけに大いに期待した今作だったが、個人的な感想は、「期待外れ」以外の何物でもなかった。というか、FIRE BALLらしくないように感じられたと表現した方が正しいのかもしれない。勿論この曲は未だに多くのFIRE BALLに支持される人気の一曲であることに変わりはないし、個人的ないちファンの戯言でしかないと言われても否定はしない。ただ、レゲエブーム全盛の当時の状況を踏まえた時、僕自身「ブームに引っ張られた」「FIRE BALLは変わった」と、うがった見方しかできなかったのが事実なのである。
その後同作を収録したアルバム「SOUNDS OF REVOLUTION」が発表されたが、僕自身一応チェックはしたものの、これまでのアルバムのようにヘビロテにヘビロテを重ねて、ということは全くしなかった。

勝手に信じていたアーティストに裏切られた気分になった僕は、大学生になり、再びジャパニーズ・ヒップホップの世界に入り込むようになる。



次でたぶん最後!
また明日~


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